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ゼルダの伝説 夢をみる島
(1) 未プレイの人のために
(2) 終末の使者の正体─苦悩するプレイヤー
(3) ゲームとは何か─「夢をみる島」は語りかける
 



(1) 未プレイの人のために

あなたがまだ、ゲームボーイの「ゼルダの伝説 夢をみる島」かその改良版である「ゼルダの伝説 夢をみる島DX」をプレイしたことがないなら、
どちらでもいいので、プレイすることを勧める。
また、プレイしたことはあるがまだクリアしていないのであれば、ぜひ結末をその目で見てほしい。


この「夢をみる島」は、「ゼルダの伝説」シリーズのその他の作品とは決定的に違う。

その他の「ゼルダ」では、ストーリーは付け足しでしかない。
心に残るサブイベントはあるが、全体を通してのストーリーはないも同然である。
それは、魅力的なストーリーを用意しなくてもゲーム自体が面白いからだ。
用意できないのではない。用意しなくてもよいからあえて用意していないだけだ。

一方、「夢をみる島」は、ひじょうに優れたストーリーと、そしてそれを表現するための上手な演出がなされている(次回以降に詳述)。
もちろん、ストーリー以外のゲーム内容が他の「ゼルダ」と比べて劣っているわけではない。ちゃんと“ゼルダ”している。
それが、筆者が「夢をみる島」を最高傑作と評する所以である。


しだいに明らかとなる世界の秘密。
それを知ったとき、主人公はどうするのか?
プレイヤーは、ひとつの決断を迫られる。
それは、「はい/いいえ」の選択肢で選ぶような性質のものではない。
主人公の、プレイヤーの行動によってその結果は出る。
ただし、マルチエンディングではない。(※)
結末はただひとつだけ。
問題は、プレイヤーがその結末を受け入れるかどうかということだ。


この「夢をみる島」と並んでゲームボーイの代表的なアクションRPG「聖剣伝説」も、
そのストーリーを評価されることが多い。

おそらく、それは偶然ではない。
ゲームボーイはモノクロ画面で、ドット数も少ない。使える音色も少ない。
つまり、奇麗なビジュアルやサウンドでプレイヤーを圧倒することはできない。
だから、中身、つまりシナリオで勝負してきたのであろう。
単なる「タイニーゼルダ」にならないために。独自の持ち味を追求したのだ。
それは、見事に成功をおさめている。

ついでに言うと、両者に共通しているのは、必ずしもハッピーエンドではないことだ。
が、悲劇的結末、というわけでもない。
ネタバレ寸前なので、この辺でやめておく。ぜひ結末をあなたの目で確かめてほしい。

(1999/5/7 綾茂勝太郎)

未プレイの人は、次回の文章は読まないでほしい。
ぜひ自分で「夢をみる島」の真相を究明してほしい。
一度「夢をみる島」をクリアしてほしい。

※ただし、一度も死なずにクリアすると、エンディングにあるグラフィックが一瞬追加されるが、
 結末が変化するというほどではない。
 ただ、追加点は本編のあるシーンが伏線となっているので、ぜひ見てほしい。

付記:「夢をみる島」は漫画化されているが、漫画版は基本的にゲームと同ストーリーなので、プレイ前は読まない方がよい。
受動的な物語である漫画では真の意味でこのストーリーを味わうことはできない。
プレイ前に読むと損である。



(2) 終末の使者の正体─苦悩するプレイヤー

  ──あなたは、選ばれた者です。
  あなたの使命は、地球を救うことです。
  人間という存在があるために、いまの地球は環境破壊が進んでいます。
  このままでは、人間だけでなく、動物、植物、そして地球そのものが滅んでしまいます。
  私は、地球の意思です。私は、あなたを選びました。
  そこに、ボタンがありますね。
  このボタンを押すと、特殊なガスを搭載したミサイルが世界中に向けて発射されます。
  ガスには、人間の遺伝子のみに作用する伝染性の特殊なウィルスを仕込んであるので、
  一週間のうちに地球上のすべての人間だけを死滅させることができます。
  でも、安心して。その他の生物・生態系にはまったく影響はありません。
  それで、地球は救われるのです。
  もちろん、あなただけは助けてあげます。心配しないで。
  さあ、ボタンを押してください……。

……などと、いきなり言われたとしたら、あなたはそのボタンが押せるだろうか?
地球は助かるのかもしれないが、あなたが生活している人間が作った社会、すなわち世界は滅ぶ。あなたの愛する人は死ぬ。
あなたは、すべてを失う。なぜなら、あなたにとって「世界」とは、宇宙や地球のことではなく、あなたをとりまく人間達と、そして見知らぬ人間が作ったものによって構成される空間のことを意味するからだ。


冒頭からカルト教団の妄言じみたことを書いてしまったが(念のために付け加えておくと、上の文は私が適当にでっちあげたもので、もちろんゲームに登場する文ではない)、本文はノストラダムスとかそういうものとは関係がない。

RPGによく出てくるキャラクターに、「魔王」という存在がある。
魔王と称されなくても、多くのRPGの最後の敵は世界か人間を滅ぼそうとしている。
たいていの主人公は、それを阻止する。
世界を守るために。人間の社会を存続させるために。愛する人を失わないために。自分の生活を維持するために。
つまり、「世界を消そうとしている存在」を「消す」のが主人公の仕事である。


「夢をみる島」では、最初、主人公(※1)の行動目的は謎である。ただ、導かれるままに迷宮をクリアしていき、わけもわからずセイレーンの楽器というアイテムを集めていく。
しかし、しだいにその世界──島──の秘密が明らかとなり、主人公の役割が明かされていく。

なんと、その世界は「かぜのさかな」という存在が見ている夢であるというのだ。
その夢は悪夢に蝕まれており、悪夢を駆逐し、かぜのさかなを目覚めさせるのが目覚めの使者である主人公の使命なのだ。セイレーンの楽器は、そのために必要な道具なのだ。
「かぜのさかな」が目覚めれば、悪夢だけでなく、(その、夢の)世界そのものが消滅してしまう。 セイレーンの楽器は、世界を滅ぼす最終兵器でもあるのだ。もちろん、その行使者とは、主人公である。

主人公は世界を消すために行動しなければならない。
一方、敵である魔物達は、自分達の世界が消えてしまうことを阻止するために、ひいては自分が消されるのを阻止するために主人公の行く手を阻む。
あくまでその行動は自衛のためであり、人間を無意味に襲うわけではない。狙いは主人公なのだ。
エンディングで、世界は消える。世界そのものである島も、そこに棲む魔物も、そして、そこに住む人々も、消失してしまう。

つまり、多くのRPGでは

  魔王=世界を消す者
  主人公=世界を消す者を倒して世界を守る者

であるのに対し、
「夢をみる島」においては、

  主人公=世界を消す者
  魔物=世界を消す者を倒して世界を守る者

となっており、役割が逆転しているのだ。
つまり、主人公こそ魔王であるといえる。

どうでもいい世界なら、さほどプレイヤーは世界を消すことに悩まなくてもすむかもしれない。
しかし、「夢をみる島」では、個性あるキャラクター群を配置することによって、
世界に住む人々をそこに存在するものとして印象づけている。

マリオがモデルの愉快なキノコ大好きオヤジのタリン、「カエルの為に鐘は鳴る」のリチャード王子、「シムシティー」のドクター・ライトなど、他ゲームからのゲストキャラをはじめ(※2)、
それぞれが勝手に生きている、人々や擬人化された動物たち。
悪意を持つ人物も特に見当たらない。皆、平和に生きている。
そして、ヒロイン、マリン。

ゲーム中盤、お気に入りの場所である海岸で海を見ているマリン。そこへやってきた主人公に彼女は言う。(※3)


  このヤシのみは、いったい
  どこからくるのかな....

  うみのむこうには、なにもないって
  タリンはいってたけれど....

  きっと、なにかがあるって
  わたし しんじてるの!

  .... .... ....


  りんく  を、みつけたとき
  わたしドキドキしたわ。

  このひとは、うみのむこうから
  なにかを、つげにきたんだって

  .... .... ....


  わたしが、カモメだったら....
  ずっと、とおくへ、とんでいくのに

  いろんなところへ いって、
  いろんなひとたちと、うたうの

  「かぜのさかな」に、いのれば
  わたしのおねがい かなうのかしら

  ねえりんく  ちゃんときいてる?
  (うん)

  いつか、りんく  のふるさとに
  いってみたいな......

  なあんてね! フフフ...


間違いなく、マリンは、そして人々はそこに存在しているのだ。

その人々を、その人々が生活する島を、主人公は消さねばならない。
親しんだ者たちを自分の手で葬らなければならない。
これ以上の業を背負わされた主人公はなかなかいない。

しかし、主人公は苦悩するそぶりはまったく見せない。
無理に主人公が苦悩しているさまを演出してプレイヤーにアピールする必要などないのだ。
苦悩するのは画面の中の主人公ではなく画面の外のプレイヤーであり、苦悩するかどうかはあくまでプレイヤーに委ねられている。

その世界を失いたくないから、あえてエンディングを迎えないというのも選択肢のひとつだろう。
たとえゲームシステムに組み込まれていなくても、それを選択する権利は、プレイヤーにはある。
いつまでもクリアしないで島をうろついていてもいいのだ。

ヒロイン・マリンはエンディングで、いつもの場所でいつもの歌を歌う姿のまま、消えていく。
主人公が奏でる「かぜのさかなのうた」すなわち目覚めの歌とともに、世界は消えた。その歌を主人公に教えたのはマリンであり、最期にマリンが歌っていたのもまた、その歌であった。
主人公が最後の戦いに赴く前、マリンが主人公に告げたことばは次のようなものであった。


  りんく   いつか このしま
  でてっちゃうんだよね....

  なんとなく..わかるの...
  りんく  が いっちゃうこと。

  ..わたしのこと、わすれないでね
  わすれたら、しょうちしないから!


……あなたは、覚えていただろうか? マリンのことを。そして、あの島を。


(1999/6/7 綾茂勝太郎)

※1 通例リンクと称されるが、主人公の名前がリンクだと言明はされていない(海外版タイトルは"LINK'S AWAKENING"<リンクの目覚め>となっているが)。名前は自由に入力でき、デフォルトもリンクではないので文中では「主人公」と称した。ただし、台詞の引用部分は自然な表現にするため「りんく」という名前にしておいた。

※2 他ゲームのキャラクターが登場することも、夢の世界であることの証明のひとつではある。ちなみにクリボー、パックンフラワー、プクプク、ゲッソー、トゲゾー、テレサなどのスーパーマリオの敵キャラも敵キャラとして登場し、カービィもなんとザコ敵として登場する。

※3 「わたしが、カモメだったら....ずっと、とおくへ、とんでいくのに」というのは、島の外に出ることができない、つまり夢の世界の存在でしかないマリンの悲哀を表現しているとともに、パーフェクトエンドの伏線ともなっている。一度も死なずにクリアすると、マリンがカモメになって歌っている姿が一瞬だけ表示される。そのシーンの解釈はいろいろあるだろうが、プレイヤーの自由である。
また、マリンとタリンは「ゼルダの伝説 時のオカリナ」でマロンとタロンとして再登場している。あるいは消えていった彼女らを哀れんだスタッフの手によって転生した姿なのかもしれない。「いろんなところへ いって、いろんなひとたちと、うたうの」とマリンは望んでいた。なぜ「時のオカリナ」でマロンがいつも歌っているのかがわかるだろう。



(3) ゲームとは何か─「夢をみる島」は語りかける

「夢をみる島」は、RPGの勇者と魔王の概念を逆転した設定となっており、
その宿命を背負った主人公という設定によって、プレイヤーを苦悩させうることは前回述べた。
今回は、その設定、そのエンディングの意味について考えてみる。

エンディングで「かぜのさかな」は、見事使命を果たした「目覚めの使者」である主人公に次のように語りかける。

  だが、ユメは さめるもの
  それが、しぜんのさだめなのだ。

  わたしが、めざめると、
  コホリントじまはきえるだろう

  しかし、このしまの おもいでは
  げんじつとして、こころにのこる。

  そして...キミはいつか
  このしまを おもいだすだろう。

  この おもいでこそ、ほんとうの
  ユメのせかいでは、ないだろうか

この「夢をみる島」のエンディングには、いくつも解釈が可能であろう。
たとえば、この世もまた夢である、という解釈が成り立つ。
もともと、マリンたちはかぜのさかなの夢の存在だったのだから、存在しなかったものだと納得することも不可能ではない。しかし、「胡蝶の夢」の故事(※1)の通り、この世こそが夢であるともいえる。
そういった意味では、マリンたちが存在しなかったということにはならない。
あの世界が夢であったのか、現実であったのかは、さほど大きな意味は持たない。どちらも同じ思い出として残るから、と。


ただ、ここではもうひとつの解釈を紹介する。(※2)
それは、「夢」が「ゲーム」そのもののメタファーであるという指摘だ。

「夢をみる島」では、電源を入れると、いかだに乗った主人公が海で嵐に遭い、難破する一枚絵のデモビジュアルが表示される。
画面は一変し、ゲーム中の画面と同じキャラクタが表示され、そこが島であることが示される。次に、女の子(マリン)が主人公を見つける様子が表示される。その主人公とマリンは、一枚絵ビジュアルではなく、すでにゲーム中と同じキャラクタとなっている。
そして画面は上にスクロールし、そしてその島の山の頂には巨大な卵があることをプレイヤーに見せ、タイトルロゴが表示される。(※3)
ゼルダシリーズにおいて一枚絵ビジュアルシーンは特異な演出であるが、それには理由がある。
エンディングの夢から覚めた主人公が空を飛んでいる「かぜのさかな」を目撃するというシーンにもまた、一枚絵ビジュアルシーンが使用されているのだ。
これが意味するところは、プレイヤーが操作するゲーム中の主人公があくまで夢の中の世界の存在であり、“現実”の世界とは違うものであるとはっきり区別をするために、主人公の描写方法を変えているのだ。

  現実世界の主人公=ビジュアルシーン・現実的な頭身
  夢の世界の主人公=通常のゲーム画面・二頭身

このように表現方法を変えることによって、明確に夢と現実を描き分けている。
誰でも、プロローグ部分とエンディング部分が同じ世界だとわかるし、ゲーム中の世界は別の世界だと理解できるのだ。

一歩進めて、プレイヤーが操作する「ゲームな部分」である、ふだんのゲーム画面(マップパーツで構成されたゲームらしい画面)を夢とし、
プレイヤーが操作できない部分の画面(一枚絵)を現実としているのには、
「夢をみる島」において夢の世界がゲームの隠喩であることを示唆しているともとれる。

「島」は、「かぜのさかな」が作り出した夢の世界であり、主人公にとって現実ではなかった。しかし、主人公は島の人々と出会ったし、島に存在もしていた。
同様に、「ゲーム」は、ゲーム製作者が創造したもので、プレイヤーにとって現実ではないものの、プレイヤーはゲームのキャラクターと会話するし、プレイヤーの分身はゲームの中にも存在しているのである。
ここに、相似が見出せる。

ほとんどのゲームにおいて、「クリアする」ということは、ふたつの意味がある。ひとつは、「達成」。もうひとつは、「終了」。
達成、すなわちエンディングを迎えることは、同時にそのゲームとの別れを意味する。(※4)
たとえば魔王を倒してしまうと、その世界を守ったことにはなるが、同時にその世界に終わりをもたらしてしまったことにもなるのだ。

ただ、ゲームを終えたプレイヤーは、そのゲームをはじめる前のプレイヤーとは同一ではない。
プレイヤーはゲームをプレイしていたとき、つまりゲームの世界に存在していたときの記憶、思い出を持つようになった。
そういう意味で、ゲームそのものがなくなってしまったわけではけっしてない。
ゲームクリアは、必ずしも喪失を意味せず、ゲームはプレイヤーの心に残るのだ。
「かぜのさかな」は、プレイヤーである我々にそう語りかけているのかもしれない。

マリンの最後の台詞

  りんく   いつか このしま
  でてっちゃうんだよね....

  なんとなく..わかるの...
  りんく  が いっちゃうこと。

このことばは、主人公のみならずプレイヤーに対しても投げかけられたものなのである。
その意味するところは、プレイヤーがゲームを終了(クリア)してしまうことにほかならない。

  ..わたしのこと、わすれないでね
  わすれたら、しょうちしないから!

マリンはそう言った。


  しかし、このしまの おもいでは
  げんじつとして、こころにのこる。

  そして...キミはいつか
  このしまを おもいだすだろう。

  この おもいでこそ、ほんとうの
  ユメのせかいでは、ないだろうか

「かぜのさかな」も、そう言った。


我々は、プレイしたゲームの数だけ、別の人生を体験してきた。
あなたは、まだ、覚えているだろうか? 昔熱中したゲームを。その世界を。その冒険を。そのキャラクターたちを。その感動を。
あなたがゲームで作ってきた思い出は、一生の宝物かもしれない。

(1999/6/11 綾茂勝太郎)

※1 「胡蝶の夢(こちょうのゆめ)」とは、広辞苑によると、
[荘子斉物論](荘子が夢で胡蝶になって楽しみ、自分と蝶との区別を忘れたという故事から) 現実と夢の区別がつかないこと。自他を分たぬ境地。また、人生のはかなさにたとえる。蝶夢。
とある。文中では、いま現実だと思っているこの世こそが夢であり、夢であったと思っていた世界こそ現実なのかもしれない、という意で挙げた。

※2 「ゲームのメタファー」という指摘自体は、1997年12月にある方からのメールにおいて指摘されるまで筆者は気づかなかった。以下に、その該当箇所の全文を引用する(改行箇所は一部変えてある)。

  ゼル伝は、クリアしたあとボーゼンとしていて、後になればなるほど、いろいろ考えるゲームでした。
  私、あのゲームのテーマは”ゲーム”そのものだと思っています。
  ”?思い出はこころに留まり続ける、それこそがほんとうの現実ではないだろうか。”
  ちょっとうろおぼえなんですが、現実とゲームの関係について語っているようにしか思えません。
  ゲームのスタンス、、についてでしょうか。夢の世界には終わりがある、
  でも、それも無駄ではないことなんだよ、と。
  そして、それを現実に反映して生きる。私たちが生きてることがそのゲーム(幻)が存在した証。

この指摘を、筆者がふくらませたのが本稿である。示唆を与えてくださったこの方に感謝する。
なお、ゲームというメタファーをテーマとしたものに「MOON」がある。割と露骨なので、暗喩というよりは明喩といえるかもしれないが。これも機会があれば述べたい。

※3 余談になるが、ゲームをはじめたときに一度だけ出るのではなく、これを何度も見せるのには理由がある。これは、「最初に主人公は難破した」ということを忘れさせないためである。これを忘れていては、エンディングで、なぜ主人公は海で木切れにつかまっているのか、ということがわからない。

※4 もう一度最初や途中からやるということもできるが、それは単なる繰り返しかパラレルワールドにすぎず、クリア後の世界はほとんどの場合存在しないか、時が進むことはない。クリア後の世界を楽しめる場合でも、ほとんどの場合、その世界の時は止まっているはずである。

※ なお、本稿はモノクロの初版「夢をみる島」を主たる対象としているため、カラーでリメイクされた「夢をみる島DX」では一部異なる部分もある。

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